“──ところで、フィリップ君、君はいわゆる良いお母さんをもつほど好運でしたか?
──とんだ御質問だ、と若いイギリス人は投げやりな口調で言ってのけた。僕の母は、美人で、ほっそりしていて、きれいに化粧して、ガラスの鏡みたいに冷酷でね。この上何と言えばいいのです?母と一緒に外出すると、僕が兄に見られますよ。
──それです。君もわれわれみんなと同じだ。驚いたことに阿呆どもはこの現代には詩(ポエジー)がない、などとぬかすのですよ、まるで現代にはシュルレアリストも、予言者も、映画スターも、独裁者もいないかのようにね。じつをいえばフィリップ君、われわれに欠けているものは現実なのです。絹は人造だし、気持のわるい合成の食べものは、ミイラに供える模造の食物そっくりだ。それに、不幸や老いから滅菌消毒されてしまった女たちは、存在することをやめたのです。乳と涙でゆたかな女、母にもつことを子が誇りとするような女には、半ば野蛮な国々の伝説の中でしか、もう出逢うこともないでしょう。”
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マルグリット・ユルスナール 「東方綺譚」
「死者の乳」
多田智満子訳 白水社 1980年