“日時計は、人間に尺度の尺度をあたえるもの、人間の時間計算の源泉をなすものであるにもかかわらず、他のあらゆる時計と比較して人間的性格のもっとも少ない時計である。他のすべての時計は人間とその発明力を前提としている。だが影の歩みは人間に依存せず、そして人間に運命の動きを告げ知らせるばかりではなく、人間を抜きにして考えうる循環運動を告知してもいる。そこにはなにか不気味なもの、人を呆然とさせるものがある。大きな影のうつろいを見るとき、とりわけその感慨は深い。ときどきわたしたちは、真昼の陽光をまぶしくはね返している人影のない広場に足を踏み入れることがある。一本のオベリスクの影が灼熱した石畳のうえをさすらってゆく。わたしたちは、その影の循環の歩みがどれほどわたしたちに無縁であり、どれほど超地上的なものであるかということをひしひしと感じないではいられない。その影は、人間がいなくとも、生物がいなくとも、その死絶した世界を循環しつづけることだろう。あるいはまた、たとえば円錐形の火山のような高い物体が投げかける陰の先端が、翼のように私たちをかすめることがある。そのときわたしたちは、わたしたちの目には見えないなにか巨大なものが、ただ暗黒が現れてくるときにのみ見えてくるようななにか巨大なものが宇宙を遊泳しているのを、その羽ばたきのようなものを想像する。重力をもたぬ巨大な影の歩みに、わたしたちは、ある霊的な力を予感するのである。”
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エルンスト・ユンガー 「砂時計の書」
「時計と時間」3章「日時計」
今村孝訳 人文書院 1978年