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読書記録
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“ロンドンにあるナショナル・ギャラリーは人気(ひとけ)がなく、その偉大な作品はウェールズのマノッドの石切り場の地下にあった。テート・ギャラリーは砕けたガラスで一杯だった。カンタベリー大聖堂の身廊は爆発のショックを吸収するために泥で満たされていた。オランダの最も有名な国立美術館である、アムステルダム国立美術館のスライドには、偉大なオランダの巨匠たちの油彩が、何も懸かっていない壁際に、折り畳み式椅子に積んで置いてある光景が写っていた。その美術館の最も有名な所蔵作品、レンブラントの「夜警」と題した油彩は絨毯のように巻かれ、不気味なことに、柩めいた箱に入れられていた。パリでは、規模と壮麗さでアメリカの「金ぴか時代」の鉄道駅を思わせる、ルーヴルの大展示室には空の額しか懸かっていなかった。
そうしたイメージは、ほかの考えも呼び起こした─もう何年も誰も見ていない、ポーランドの盗まれた傑作。オランダとの和平交渉のペースがナチの好みには合わないほどゆっくりだったので、ドイツ空軍に破壊されて消えた、ロッテルダムの歴史的中心地。個人の美術品をドイツに渡すことに同意するまで投獄された、ウィーンの偉大な古老たち。心配したイタリアの役人たちにおって煉瓦の墓に入れられたミケランジェロの「ダヴィデ」。そして、ロシアのエルミタージュ国立美術館。学芸員たちは、ドイツの国防軍(ヴェーアマハト)がレニングラードからの線路を切断する前に、推定二百万点以上の美術品のうち百二十万点をシベリアに疎開させることに成功した。学芸員たちは美術館の地下室で暮らし、飢えを凌ぐために動物をベースにした接着剤と、さらには蝋燭を食べたという噂があった。”

ロバート・M・エドゼル 「ナチ略奪美術品を救え─特殊部隊『モニュメンツ・メン』の戦争」

第3章「武器をとれ」

高儀進訳 白水社 2010年

ウィリアム・L・シャイラー 「第三帝国の興亡 2─戦争への道」
松浦怜訳 東京創元社 2008年 ウィリアム・L・シャイラー 「第三帝国の興亡 2─戦争への道」
松浦怜訳 東京創元社 2008年

ウィリアム・L・シャイラー 「第三帝国の興亡 2─戦争への道」

松浦怜訳 東京創元社 2008年

“──ところで、フィリップ君、君はいわゆる良いお母さんをもつほど好運でしたか?
──とんだ御質問だ、と若いイギリス人は投げやりな口調で言ってのけた。僕の母は、美人で、ほっそりしていて、きれいに化粧して、ガラスの鏡みたいに冷酷でね。この上何と言えばいいのです?母と一緒に外出すると、僕が兄に見られますよ。
──それです。君もわれわれみんなと同じだ。驚いたことに阿呆どもはこの現代には詩(ポエジー)がない、などとぬかすのですよ、まるで現代にはシュルレアリストも、予言者も、映画スターも、独裁者もいないかのようにね。じつをいえばフィリップ君、われわれに欠けているものは現実なのです。絹は人造だし、気持のわるい合成の食べものは、ミイラに供える模造の食物そっくりだ。それに、不幸や老いから滅菌消毒されてしまった女たちは、存在することをやめたのです。乳と涙でゆたかな女、母にもつことを子が誇りとするような女には、半ば野蛮な国々の伝説の中でしか、もう出逢うこともないでしょう。”

マルグリット・ユルスナール 「東方綺譚」

「死者の乳」

多田智満子訳 白水社 1980年

“ライヤール:ランボーの「人生を変える」とマルクスの「世界を変革する」ということが一つの同じことを意味しなくてはならない、とあなたもブルトンのようにお考えですか?

ミロ:ええ、まったくそのとおりです。私がいらだつのは、苦労して描いた絵がアメリカの億万長者のところに行ってしまうことです。いやですね。”

—ジョアン・ミロ ジョルジュ・ライヤール 「ミロとの対話─これが私の夢の色」

12章 「コロンブス以前の卵」


朝吹由紀子訳 美術公論社 1978年

“アトスでは中世このかた、たぶん魂の質は別として、何ひとつ変っていない。編髪と髭を垂らした六千人の修道士が、自分らの信仰篤い保護者たる何世紀も昔におそらく滅んでしまったトレビゾンド族の王侯たちの魂の救済のために、今日なお祈りをつづけているのですよ。人が想像するほど忘却が速やかでもなく全面的でもない、と考えるのはじつに心安まるものです。なにしろ、十字軍の時代の王朝が幾人かの老僧たちの祈りの中に生き残っている場処がこの世にはあるのですからねえ。”

マルグリット・ユルスナール 「東方綺譚」

「マルコの微笑」

多田智満子訳 白水社 1980年

“──おまえは死んだと思っていたよ。
──先生が生きておられますのに、どうしてわたしが死ねましょう。
と玲はうやうやしくこたえ、師に手をかして舟にのせた。翡翠の天井が水を映し、そのために玲はあたかも洞窟の内を漕いでいるかに見えた。水に沈んだ廷臣たちの三つ編みの髪が蛇のようにたゆたい、皇帝の蒼白い顔は蓮の花のように漂った。
──ごらん、弟子よ、と憂鬱そうに汪佛が言った。この人たちは、気の毒に、死んでしまうよ、まだ死んでいなければな。皇帝を溺れさすほどに海に水があろうとは思ってもみなかった。どうしたものかな?
──師よ、御懸念には及びませぬ、と弟子は呟いた。この人たちはすぐに乾いてしまい、自分の袖が濡れたことなど思い出しもしますまい。帝だけが、心にいささか海の苦みをとどめるでしょうが。この人々は画のなかで死ぬようにはできていないのです。”

マルグリット・ユルスナール 「東方綺譚」

「老絵師の行方」

多田智満子訳 白水社 1980年

劇場での大喝采は、しばしばひとつの母音にまとまってゆく。おなじことは、劇場でのスキャンダルについてもいいうる。それを表明するための手段自体が、母音に同調しているのだ。拍手には感嘆のA(アー)があらわされ、他方、口笛には嫌悪のI(イー)がふくまれている。人間のあいだの秩序がくずれ血を流すにいたるとき、それは音声の変化となって表出される─ちょうど水が沸騰するときのように。相談で事をきめる集会の場では、どんな整然たる演説、また思慮ぶかい語りかけもしずめようのない声がわきあがってくる。それとともに、往来や広場では、一夜のうちに生まれて朝にはもう人口に膾炙している歌やスローガンに気づくことがあろう。そのうちのひとつ──


Ah ! ça ira, ça ira, ça ira !
Les aristocrates à la lanterne.

(ああ、いざ、いざ、いざ
貴族どもを街灯につるせ)


ここでふたつの母音の色あい、その対比は、ささやく子音とふきならす子音とに強調されて、時は至れりと、はっきり告げている。そのようなひびきのめざめるところ、自由な語は黙するほかない。ちょうどコロセウムの血なまぐさい闘技の際、神像に覆いをしたように。

エルンスト・ユンガー 「言葉の秘密」

「母音頌」

菅谷規矩雄訳 法政大学出版局 1968年

“ライプニッツは、純然たる音符にもとづく言語が可能だとおもっていたし、ヴィコの仮説では、原初の言葉は、歌のなかの母音からつくられたという。そのような言語があったとすれば、人工的な国際語などより、ずっと簡潔でまた深遠であるにちがいない──それは元素の言葉にほかなるまい。”

エルンスト・ユンガー 「言葉の秘密」

「母音頌」

菅谷規矩雄訳 法政大学出版局 1968年

ミロ:ダリは頭が切れるのに、性格がそれにともなっていません。人間的なある力に欠けています。ああ、私は彼の絵には興味を持っていました、ある時期まではですが。そのうちダリは人間の持つべき威厳をなくして、急降下してしまいました。

ライヤール:技術的な巧さと人間的な価値といったものを切り離すことは不可能だとお考えですね・・・・・・

ミロ:もちろん不可能です。巧さだけですと中味がありません。

ライヤール:私は聖画像を描く画家は放蕩者でも無神論者でもよかったと思いますが・・・・・・

ミロ:あの頃は、何よりも職業が重要でしたから。ボードレールがすべてを壊したのかもしれません、詩や絵画などすべては「空を掘る」ことだといってカテゴリーの違いをなくしたのはボードレールです。

ライヤール:あなたのいう「職業」とはなんですか?

ミロ:綴字法のようなものですが、外から与えられるものではありません。自分の表現したいものによって内側から口述されるのが職業です。文法も統辞法も、何もありません。自分の仕事は自分でやらなくてはいけないし、自分で切り抜けていかなければならないのです。

ジョアン・ミロ ジョルジュ・ライヤール 「ミロとの対話─これが私の夢の色」

6章 「純粋さに限りなく近づくこと」


朝吹由紀子訳 美術公論社 1978年

以下の省察を母音へのささげものとしよう。


これらのひびきを子音とくらべてみると、まずそこに宿っている精妙にして移ろいやすい生命がきわだってくる。
その意味では、母音は言語のもともとの肉質をなしているもので、強固な骨格は子音に具体化されているのだ。ゆえにまた言語の変遷、その生成、推移、衰退などに、母音はまずもっとも動かされやすい。それは短命の原形質に似て、いちはやく代謝し言語の本体から消えおちるが、子音のかたい甲皮はといえば、しばしば数百年にわたり、人種、民族、諸言語の多彩な交代にも耐えて、その脈絡を保持するのである。
子音はつまり、時による浸食という観点からすれば、より大きな恒常性と信頼度においてきわだつものである。セム系諸語では子音は語義の基本を担うものとされ、母音はただそれに影響をくわえるにとどまる。それに応じて、文字のうえでも、母音はしばしば副次的の記号であらわされるのだ。うたがいもなくこの事実は、かの生まれながらの律法の民の精神に深いかかわりがある─犯すべからざる戒律を伝え、石に刻まれた古辞に依拠し、女性には隷属的な役割を与え、といったところにあきらかな、あの精神である。
この第三の特徴をあげたのは、ヤーコプ・グリムの美しい文をおもってのことである─『あきらかにすべての母音には女性の、すべての子音には男性の、基盤がおかれてしかるべきである。』

エルンスト・ユンガー 「言葉の秘密」

「母音頌」

菅谷規矩雄訳 法政大学出版局 1968年